- 祖父母の遺品整理で訪れた愛知県岡崎市での思い出と地域の魅力
- 大正庵釜春やスガキヤなど、三河地方特有の濃く丸みのある食文化
- 几帳面な祖父が残した金銭出納帳から感じた、記録を残すことの価値
1. 祖父母との別れ
一昨年、昨年と、続けて母方の祖父母が亡くなった。
二人とも、大きな病気などではなく、92歳、91歳と、一般的に言えば間違いない大往生なのだけれど、
あまりにも健康であったため、100歳は超えるだろうと前までは思っていたし、
とても面倒をみてもらったこともあって、とてもさみしい。
お葬式の後も、少しだけ遺産関係の揉め後があり、
母の踏ん切りがつかなかったこともあって、
なかなかお墓参りや、遺品整理に進むことができなかった。
しかし、一年近く経って、ようやく母を連れ立って、
祖父母の家に行って片付けをしようということになった。

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2. すこし変な街、「岡崎」
家は愛知県の岡崎市にある。
両親ともに岡崎出身で、わたしも実家では三河弁を話している。
また、結婚して、戸籍を変えるまでは、本籍地は岡崎市にあった。
岡崎市といえば、そこそこの知名度を誇る街なのではないかと思う。
人口は30万人ほどで、愛知では3番目に大きい街であり、
有名なものでいえば、
徳川家康の生誕した岡崎城があること、
朝ドラの舞台にもなった八丁味噌の有名な街、
何がいいか分からないオカザえもんというゆるキャラ、
よく知らないけれど、東海オンエアーというYoutuberもいる。
ただ、観光としてはあまり見どころのない街である。
どちらかというと、名古屋のベッドタウンという位置づけだ。
子供たちを連れていきたいと考えたことは何度かあるのだけれど、
本当に何もするところがないので、祖父母の生きている間には、
結局一度も連れて行ってあげることができなかった。
私から見る岡崎は、
これ以上見たことのないほどの、「AEON」に浸食された街である。
私が子供のころは、JASCOだったけれど、20年ほど前からAEONになっている。
勿論、関東圏に新しくできているショッピングモールに規模は及ばないけれど、
街の規模に対する存在感は絶大で、岡崎での生活はほぼそこで完結される。
地域の商店街や、昔からあったデパートは、典型的にダメージを受けた。
まさに、平成の社会の見本のような街なのである。
しかし一方で、人口は減っておらず、AEONの力は強く残り続けている。
他の地域のAEON問題のように、人が減って、AEONすら撤退して最後は何も残っていない、なんていうことはない。
どことなく、「平成のまま保存されているような街」という印象を受ける。
岡崎を含めた、名古屋圏内は全国的に見ると少し変な地域性がある。
これは、ハンチョウの19話にも散々ネタにされている。
個人的に言わせてもらうと、田舎臭くてダサい。
どこからみても悪口だけれど、どうしてもそう思えてしまう。
まずは、三河弁だ。これも散々ネタにされていることだし、
私だって実家では喋っているのだけれど、ものすごく田舎臭い言葉である。
そして、凄いことに全ての世代の人が変わらず話している。
例えば、青森、岩手や、宮崎、鹿児島などの、一般的に方言が強いと揶揄される地域においては、老人と若者の間では大きな差がある。
簡単にいうと、若者は少し緩和されて、標準語に近くなっている。
しかし、三河弁においては、老人も若者も、ほぼ同じくらい訛っているのが特徴だ。
みんなが、自分の訛りを普通だと考えているからだと思う。
ハンチョウで書かれていた通り、県民全員がマイペースなのかもしれない。
駅や繁華街などにいっても、若者のファッションは非常に古臭い。
私はいつも言っているのだけれど、目隠ししてランダムで駅に降ろされたとして、人々の見た目だけで、間違いなく名古屋駅だと断定できる自信がある。
また、昔は商業の街でもありがなら、現在はTOYOTAのお膝元であり、
どこか身内での強い結束と、外に対する見栄っ張りなところは、
どこか近寄りがたいと思わせる雰囲気がある地域なのではないかと思う。
あまり、他の地域と交流をしなくても問題ないのである。
ハンチョウでは、「愛知は独裁国家なのだ」と書かれていた。確かに的を得た表現だと思う。
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3. 遺伝子に刷り込まれた味覚
こうやって書いていると、岡崎や名古屋が嫌いなのかと思われてしまうかもしれないが、決してそういうわけではない。
ただ、祖父母や親族がいなかったら、特に行く理由が無い場所だと思っている。
実際に、他の地方から愛知県に観光に行きたいという話なんてほぼ聞かない。
しかし私の人生の中に、一つ大きく影響を遺すものがある。
それは「味覚」である。
母は大人になるまで岡崎に住み続けており、京都に引っ越してから私が産まれた。
しかし、母の作る料理は勿論、岡崎の味であり、それゆえに私の故郷の味も岡崎の味なのである。
これもハンチョウに書かれていることだけれど、愛知県の味覚は少し特殊だ。
小倉トーストやもろこしうどんなどの変わり種はおいておくとして、
特徴的なのは「八丁味噌」をはじめとする味の濃さでだと思う。
私は現在、福岡に住んでいるので、
世間一般からすると、似ているのではないか、と思われるかもしれないが、
これに関しては、全くの別物だと言いたい。
福岡の味の濃さは、単に塩分と糖分どちらか(多くは塩分)の濃度が極端に高い。
正直に言って、尖りすぎている感じがして、あまり好きではない。
お酒を飲むことを前提にして作られているような味なのである。
一方で、三河の味の濃さは、塩分と糖分どちらも高い。やや糖分が勝る。
そして、必ず丸みのある味なのである。家庭的とでもいうのだろうか。
日本トップクラスの車社会であることも関係しているかもしれない。
実際に、お酒にこだわりのある地域性ではない。
この味覚だけは、どうしても他の地域にないものなので、
祖父母が亡くなってしまい、あまり訪ねる意味がなくなってしまっても、
機会があれば行ってもいいかなと思うところなのかもしれない。
今回の遺品整理に行った、1泊2日の日程でも食べた、
岡崎(もしくは名古屋)に行ったら必ず食べる物を紹介したい。
1. 大正庵釜春本店
釜揚げうどんの元祖を謳う、うどん屋さんである。
それこそ子供の頃から、祖父母の家に行くたびに必ず食べに行った。
両親もずっと子供の頃から食べていたというから、もう遺伝子に刷り込まれている味と言ってもいいと思う。
調べたところによると、創業は明治の中期とのことだ。すごいな。
子供の頃からずっと通っていたお店だから、何の疑問も持っていなかったけれど、
改めて見てみると、うどん屋としては異常な大きさのお店である。
二階まであって、席数は236席と本当に大きい。
沢山の人が住み込みで修業をしながら働いている(今は住み込みじゃないかもしれないが)と聞かされていたし、ずっとお店で麺を打っているのを見学することが出来る。
何世代も続いている、間違いなく岡崎で知らない人はいないお店だ。
うちの家族も間違いなく一番大好きなお店である。
今回も、到着してまず「食べに行くよね?」と聞かれて向かったのだけれど、なぜか、横浜に仕事で出張しているはずの父がいた。
そして、うどんを食べてまたすぐに横浜に戻っていった。
ここにいくと、みんな食べるメニューが決まっている。
両親は必ず「天婦羅うどん」、兄は「天綴じうどん」、亡くなった祖母は「あんかけうどん」、従妹と叔母は「もろこしうどん」、、、
そして私だけ王道の「特上天婦羅釜揚げうどん」である。
ここの釜揚げうどんのつゆがとても美味しい。
ぎりぎり舌がしびれないくらいの鰹の出汁の味に負けないくらいに濃い甘さと塩分で、
うどんをつけても、天婦羅をつけても最高である。

ただ、このお店、お値段はうどんとは思えないくらい高い。
地元の人としては、来客があったときに連れていくお店という位置づけだ。
亡くなった祖父は、「うどんに出す金額じゃない」と言って、あまり一緒に行かなかったことを覚えている。
香川県民がみたら気絶するのではないだろうか。
2.スガキヤ
いわずとしれた、ラーメンチェーン店である。
全国どこでも、いろんな味のカップ麺を展開しているのだけれど、
本場?のスガキヤラーメンを食べたことのある人は少ないのではないだろうか。
そもそも福岡のラーメン屋のように観光で食べに行くお店ではない。
ほとんどが、愛知県内のショッピングモールのフードコート内にあるのだ。
しかし、地元のひとなら絶対に食べたことがあり、そして愛されている。
格別に美味しいという訳ではないのだけれど、本当にずっと変わらない味だ。
変わったのはお値段だけ。
まえはラーメン1杯で200円代だったけれど、さすがに少し値上げされている。

このラーメンとチョコクリーム(という名のチョコサンデー)を同時に食べ進めて行くのが、わたしのなかの鉄板なのである。
ラーメンと甘味が同時進行するのが、今思えば実に愛知らしい。
3. 山本屋総本家タワーズ店
名古屋といえば「味噌煮込みうどん」で、味噌煮込みうどんといえば「山本屋」というのは、これは全国的なものだと思う。稲庭うどんならば、佐藤養助みたいなものか。
暖簾分けなのか、喧嘩別れなのかしらないけれど、山本屋は2種類ある。

ただ、味噌煮込みうどんは、ちゃんと八丁味噌を使っているお店ならば、どこにいっても結構おいしいと思う。さきほど紹介した、大正庵釜春でもとても美味しい。
でも、このタワーズ店は、亡くなった祖母と行ったことのある思い出のお店だ。
大学生になったばかりの頃、新幹線で祖母の家に遊びに行った帰り、いつもは岡崎駅で祖母とはお別れしていたのだが、名古屋駅まで送ってくれたことがあって、その時に行ったお店なのである(祖母は山本屋の味噌煮込みうどんが食べたくて名古屋駅まで来てくれたのが真相だ)。
それ以降、仕事でも、帰省でも、名古屋駅に降りた時は、必ずと言っていいほど立ち寄っている。全く知らない名古屋駅だけれど、ここだけは地図を見ずにたどり着くことが出来る。
今回は一緒に帰る母を誘ってみたのだけれど、開店まで1時間は待たなければいけなかったのだけれど、指定席の予約を変更してまでついてきてくれた。
八丁味噌だけは本当に美味しいと思う。
九州のお味噌汁なんて、ただの薄い塩水にしか思えない。
それに、どこかは忘れたが、だいぶ前に九州で味噌煮込みうどんを頼んだ時、イメージしていたものとは全く違うものがでてきて絶望したことがある。
福岡にどこか、名古屋と同じ味噌煮込みうどんが食べられるところは無いのかと思って検索したことがあったけれど、yahoo掲示板でさえ、「一つもありません」と書かれていた。どうやら、いま調べても変わってはいないようだ。
もしかしたら、商機があるのではないかと思うけれど、自分が博多の味がどうも好きになれない事を考えると、おそらく逆も成り立つのだろう。なかなか難しいかもしれない。
ただ、味噌煮込みうどんという食べ物は、味を再現することは簡単である。
鰹出汁、醤油、味醂で出汁をとって、八丁味噌を溶いてから鳥肉と麺、椎茸、卵などの具を煮込めばいい。
麺は、冷凍讃岐うどんで問題ない。理由は分からないけれど、味噌で煮込めば完璧にとは言えないまでも硬めの本場に近い食感になる。
味付けのポイントは味醂だ。なんなら少し砂糖を入れてもいい。
というか、三河の味付けのほとんどのポイントは味醂だと母が言っていた。
岡崎で料理学校に通って調理師免許を取った母が言うのだから間違いない。
レシピ本の酒のところを全て味醂に置き換えれば故郷の味になるのではと思う。
今度、家族に作ってみよう。子供たちは何というだろうか。
他にも思い出の味はいくつかある。
岡崎で有名な三八という焼肉屋さん(たまに腹痛、下痢に見舞われる)、
萬珍軒という中華料理屋、三河湾のネタそ使用した魚魚丸という回転寿司、
あとは、鰻屋さんも美味しい老舗が多い。
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4. 久しぶりのお墓参りと未来への繋がり
しかし、やっぱり今後、岡崎に行くことは減るのではないかと思う。
まぁ、名古屋にいくことは今後もあると思う。
仕事でいくこともあるだろうし、名古屋港水族館は、一度は妻と行ったことはあるけれど、再び子供を連れて行ってみたいところだ。
ただ、岡崎は、名古屋から快速でも40分近くかかるし、会う人がいなければ行く意味がどうしても無いと思ってしまう。
まだ当分先のことだけれど、両親はお墓はどうするのだろうか?
母は岡崎には入りたくないなぁと言っていたけれど、、、
というか私たちはどうすればいいのだろう?
墓石の横にある墓誌には、まだ沢山のスペースがあるけれど、果たして、、、

今回、何年ぶりかのお墓参りをしたのだけれど、この文化?というか伝統はこの先の日本に続いていくのかもわからない。
私は子供の頃は何度もお寺に行ってお参りをしたし、お盆にお経を上げたりした記憶はたくさんあるけれど、子供たちは一度もしたことがない。
考える重要性はあまりないことのような気もするが、ふと考えてみるのも大事なのかなと思った次第である。
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追記 ; 遺品整理と 祖父の金銭出納帳
追記;
遺品整理は思っていたより大変だった。
祖父の家系は結構な土地持ち(つまりお金持ち)で、また祖父は理科の先生をしながら収集癖もあったので、本当に物が沢山あった。
たくさんあった筈の宝石などの貴重品は、何故だか行方知れず(同居家族の従妹が怪しいが)になってしまっていたが、祖父が趣味で育てた大きな瓢箪、ワニや亀の標本、ダチョウの卵、サンゴの置物、木刀、色紙、掛け軸、人形、薬品、銃弾、食器、木造家具、、、
買った時の金額にすれば、何億ともなるだろうものたちだけれど、骨董屋さんが持って行ってくれるものは、手間賃も含めると3万円。
人形やこけしなど芸術品はまだ残しているけれど、物とはなんとも儚いものだと思う。
形見分けとして貰っていこうかなと思ったものは、祖父が愛用していた湯呑みくらいで、あとは沈香のブレスレット、使えそうな剪定鋏、サバイバルナイフだけ持って帰ってきた。
時代が変われば、価値のあるものでも、家具や食器などは、使うに難しい。
物を遺すならば、金貨などが選ばれるのが分かる気がした。
ただ、面白かったのは、祖父がつけていた「金銭出納帳」であった。
私が出会ったどんな人よりも几帳面であった祖父は、どんなことでも常にメモを取っていて、それを毎晩その金銭出納帳に書き残していたのであった。
そこには、買ったものの金額が全て細かく書いてあり(それだけで驚きなのだけれど)、その割引率、毎日測っていたらしい自分の体重、毎日読んでいた新聞の切り抜きや感想、世界情勢までビッシリと書き込まれている。

更には、行の隙間には、赤文字で毎日の日記のように、普段の愚痴や、孫が育つよろこびなどが書き込まれていて、
普段は言葉多くはなく寡黙でありながら、話すときは沢山のことを教えてくれた祖父の心の中が、そのまま書き込まれているようであった。
結局、3冊あるうちの1冊を帰りの新幹線の中で3時間ずっと読んでいた。
昭和60年から平成4年までの一日たりとして欠けていない記録であった。
死んでしまった祖父が、その中には確かに生きていて、悲しい気持ちにはならないのが不思議だ。あと、2冊も読みたいと思う。
どんな気持ちで書いていたのだろう?とも思った。
いつか、だれかに読まれることを考えてはいたのだろうか?
文面からは読まれるようには書かれていないが、想定はしていたのかもしれない。
わからないけれど、遺っていたものの中では、この金銭出納帳が、どんな他の物品よりも祖父を顕しており、また周りの人とのやり取りも鮮明に感じられる。
結果的に、どんなものより、祖父からの贈物だと感じられた。ただ、量が多すぎて、私しか読んでいないというのが実態なのだけれども。
ブログを書いているモチベーションにどこか通じるものがあるけれど、それより遥かにどうでもよく、プライベートな内容である。ただ、それが身内にとってはとても大事なのではないだろうか。
アルバムでもいいと思う。ただ、現代はほとんどがデータ止まりだ。
うちでは、毎月少しだけ、印刷をしているけれど、それはとても貴重なものになり得るのかもしれない。
旅行先で、記念で家族写真を撮ってもらう所があれば、基本的に買うようにしている。
今書いている、ブログもいいけれど、どうしても外向けの文章になってしまうし、インターネット上の記録でしかないから、いつ消えるかもわからない。
自分も祖父と同じように、金銭出納帳をつけてみようかなと思った。
ただ、そのためには、祖父と同じような綺麗な字を書けるようにならなくてはいけないのだが、、、
というか、こんなにマメに書けるものなのだろうか、、、
2026年4月25日