hoimicleの日記

اسمي هويميكل

【万博記】 限界万博再訪記録(追記)

この記事のポイント
  • 万博成功の裏に見えた日本の社会問題
  • 情報過多なSNSと利便性が生む疲弊
  • リアルな体験の価値と未来への期待

1. 開催終了した万博を振り返って

万博旅行から早くも1ヶ月近くが経過してしまった。

時の流れはとても早い。その間、仕事で1週間ほどアメリカのサンアントニオに行っていたため、準備なども忙しくブログを書くことができなかった。サンアントニオの滞在に関してのブログは後日書きたいと思うが、今回のブログは万博についてである。しかし、書きたいネタが溜まってしまっている。

 

万博について書くといっても、前回のブログのような、パビリオンの記録、感想とかではなくて、改めて万博に行って考えされられたことを書くつもりだ。

ちなみに、1回目に万博にいったときは、

「万博からみる世界、そして過去と未来」

という大げさなタイトルで書いた。もしよかったら読んでいただければと思う。

hoimicle.hatenablog.com

 

逆に、今回のテーマは

「半年間の万博開催で見えてきた、日本の現在の問題」である。前回とは真逆のテーマかもしれない。

 

丁度サンアントニオにいる間に、日本では万博の閉会式が行われた、損益分岐点も軽く超え、殆どの国民が開幕前と比較するとポジティブな印象を抱いていることに疑いの余地はなく、万博は成功だったと評価して良いと思われる。個人的には、石破首相が閉会式の時にも総理大臣であってくれて、スピーチをされることはとても嬉しい。まさか、この翌週には高市総理となり、万博の立役者の一人であった大阪の吉村知事率いる維新の会が与党入りして連立政権を組むなんて想像すらしていなかったけれども。万博の勢いが国政にも及んでいるのかもしれない。

 

このように万博は成功だということに異論は全く無いけれど、半年の運営の間に大きな問題があったことは誰も否定できないと思う。また、その問題は日本の抱える社会問題を表した問題だと思う。僕が感じたことを書いていければと思う。

 

2. 現代を映すSNSとキャパ問題

①SNSの弊害

今回の万博はSNS万博とも呼ばれる。これはSNSが万博を盛り上げたという意味で、良いことのように表現されている側面もあるけれど、同時に悪い意味も含まれていると思われる。

たとえば、SNSが無かったと仮定したら、この万博は成功しなかっただろうか。確かに、SNSでの良い口コミが入場者数を押し上げたという考えもあると思うのだけれど、一方で万博の初期の人気の無さも、SNSの過剰なネガキャンのせいなのではないかと思うのである。

最近のSNSによるバッシングは酷いものがある(twitterしか知らないが)。万博に限らず、悪質な切り抜きや、AIでつくられた内容スカスカな広告のまがい物、インプレ稼ぎのための悪質なものが大量に蔓延ってしまって、本当に欲しい有益な情報を見つけるのには骨が折れる。気付かないうちに不要なストレスを抱えてしまう原因となっているのは間違いない。

また、SNSでバズってしまうと、もう次の日には人が並ぶこととなる。いい迷惑だと思う。

話を戻すが、SNSなんかなくても万博は成功していたと思う。それだけ、万博そのもののパワーは凄いものだし、現代の人々が求める要素が多く詰まっていたものだからだ。

また、SNSに個人が振り回されすぎではないかと感じることも多い。SNSがあるせいで、承認欲求を満たす必要性が高くなっている。きれいな写真を撮りたい、みんなに人気なパビリオンに入れたことを誇りたい、珍しいものを食べたことを自慢したい、もちろんそれは楽しみの1つかもしれないけれど、それに振り回されすぎるあまり、もっと楽しいことを犠牲にしてしまっている人が多いような気がする。端的に言ってしまうと、イタリアパビリオンに入るのに8時間も待つのは不毛だろうということだ。イタリアパビリオンに入ったという事実が欲しいだけになっているような気がしてならない。

 

②キャパオーバー

「並ばない万博」だとか、「並べない万博」だとか、いろいろな呼び方をされることとなった。

しかし、最後の状態をみると、どう考えてもキャパオーバーである。チケットの仕組み、入場の仕組み、交通手段、さまざまな問題が結局のところ中途半端に終わってしまった。

また、自分はまだ情報収集や、ネットを駆使した予約などが得意なので問題ないけれど、さすがに、そういったことが苦手な人にとっては今回の万博は厳しすぎたのではないだろうか。

良いのか悪いのか、情報を持った人達とそうでない人達の差がより大きくでてしまっていた。今後の日本もそうなっていくような気がする。

若いうちはいいけれど、ゆくゆくのことを考えると少ししんどいなと思う。というか、年齢に関係なく、しんどいものだと思う。

人を便利にするはずの技術が、まだ人を疲れさせてしまう段階にあることの表れだろう。とはいえ、ある程度は主体性を持って行動したほうが楽しいと感じることは多いだろうから、便利さのバランスは難しいところだ。ただ、今回は、技術不足による不便さが勝っていた。そして、それは今の社会の問題でもあるような気がする。最近はスマホひとつあれば何でも出来るところまで来ているけれど、どこか煩わしいところが多く残っている。

 

3. 本物志向と日本人の貧困化

③本物志向

今回の万博で明らかになったのは、現代の人間が求めているのはリアルであるということだと思う。未来の都市の展示では、美術の授業で海外の美術館にバーチャルで参加する未来の学校なんてものが描かれていたけれど、今の感じだと、それでは人間は満足できないようなのである。

バーチャル万博というのもあったけれど、あれは、あくまで実際に万博に行った人のためのコンテンツだ。リアルの代わりにはならない。

イタリアやフランスのパビリオン、ご当地グルメ、グッズを含めたお土産の人気、そういったもの全てから、現代の人間がリアルにおける満足度に重きを置いていることが伺える。

他にも、万博が終わった今でも、レガシーを遺したいという意見が多く見られる。愛・地球博のときはこんな風潮は無かったように思う。

これは、万博が成功だったことの証かもしれない。僕が思うに、万博は、久々に日本に訪れた物として価値の高いイベントだったのだ。芸術的な建築物や、妙味のあるキャラクター、クオリティの高い食べ物、そういったものは、最近のインスタントな物が多く溢れる日本社会のなかで輝いて見えたのではないかと思う。


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だから、私もこんなものを買ってしまったのかもしれない。

 

④日本人の貧困化

これは、他国と比べての話というより、日本国民の意識の話だ。勿論、円安が関係していることは否めない。

これを一番感じたのは、万博のスタッフに対してである。

万博のパビリオンには、各国からも多くのスタッフが来ていたけれど、やはり多くは日本人が頑張って運営をしていた。そして、日本人がどの国の人よりも過酷に働かされている気がした。外国人のスタッフはどこ

か悠々としているのに対し、日本人のスタッフは結構へとへとである。まぁ、日本で開催しているから仕方ないような気がするけれど、どこか不景気な日本を象徴しているようで何とも言えない気分になった。

 

最後. 未来への期待とミャクミャク様

他にも沢山の気にかかる点があったけれど、書いててあんまり楽しくないのて止めようと思う。

 

結論を言ってしまうと、万博という未来を思い描くイベントでも、悠々自適で明るい未来はまだ遠いということだ。今が、その途中にあるのか、それともそんな未来は永遠にやってこないのか、それは分からないけれど、まぁ人生はそんなもんなのだろうと思う。

 

とはいえ、万博は素晴らしいものだったし、今の政治とかをみると、いい影響を与えて与えている。5年のサウジアラビアも楽しみだし、20年後とかには再び日本で開かれることを期待せずにはいられない。

あとは、ミャクミャク様が安っぽく消費されて消えてしまわないことを祈るばかりである。

 

2025年10月23日